先日、路上ライブを見かけたときに思ったのは、発信と似ているなということ。
続けることが大前提です。
路上ライブをやる強メンタル
冒頭の写真は、先日鶴舞図書館に行ったときに前の広場でやっていた路上ライブ。
ちょうど始まるところでした。
目の前に誰もいなくても、広場にいる人達に向けて語りかけて、ライブが始まりました。
目の前に人がいなくても、歌い始めるなんて強メンタルすぎです。
誰も目の前にいないのに歌うというのは、わたしにはできませんから。
でも、歌い続けているうちに、少しずつ、少しずつ人が集まってくるのです。
気づけば多くの方が集まっていました。「なにかやっているの?」という感じでしょうが、気になれば足を止めてくれるということです。
路上ライブを途中でやめていたら?
路上ライブ、最初はほとんど見られていないわけで、その中で歌い続けるのはカンタンではないでしょう。
でも、歌い続けることで見に来てくれる方がいるわけです。
今回見かけた路上ライブはそうでした。
広場に来ても素通りする方もいますし歌を聞いていてすぐに去る方もいますが、そのまま残っていっしょに歌ったり、乗ってくれる人も一定数いるわけです。
でも、もしほとんど人が来ないからといって歌うのをやめていたら?
これだけの人は集まらなかったでしょうし、多くの方に歌を聞いてほしい、CDを買ってもらいたいという目的があったとしても道半ばだったでしょう。
ギター片手に歌い続けたからこそ、できたことです。
そして楽しそうにしていることも大事でしょうね。
ライブをされていたお二人も楽しそうに歌って、ときに語りかけていました。
路上ライブと発信の共通点
路上ライブと発信には共通点があります。
その1つがとにかく続けること。
発信も最初のうちは見てくれる方はほとんどいません。
それでも、発信を続けることで見つけてくれる方が少しずつ出てきます。
去る方もいるでしょうけど、中には見続けてくれる貴重な方もいらしゃいます。
でも、発信をやめてしまったら?
気づいてくれる方はいなくなりますし、見に来てくれなくなります。
だからこそ続けることが大事です。
続けていれば、メニューを見てくれたり記事を読んでくれたりと少しずつ興味を持ってくれる可能性があります。
路上ライブは同じ場所で同じ曲を、ときには新曲を歌い続けることで、じわじわとファンができるのでしょうが、その道はやはり険しいでしょうね。
発信を続けるのもまた険しい道。
見つけてもらいたいのであれば。たとえ目の前に人がいなくても、声を出し続ける必要があるのは路上ライブでも発信でも同じです。続けることで少しずつ見てくれる方が出てきます。
で、続けるには楽しむことも大事です。
発信を続けている方は少ないです。
だからこそ、今回の路上ライブのように楽しそうに歌う姿を見ると刺激をもらいます。
負けてられんなと。
【編集後記】
昨日はオフ。妻の予定の付き添いで菰野町へ。待っている間はすぐそばの菰野町図書館へ。図書館の横に川があってそのよこに小さな天然温泉が。おじさんたちが入っているのが興味深かったです。終わってから合流して夕食。四日市港方面へ。好きなひものを選んで焼いてくれるヒモノ食堂がヒット。家族それぞれ魚を選ぶのも楽しめました。わたしはアカウオを、家族はサーモン、ほっけ、さば。
【昨日の1日1新】
※「1日1新」→詳細はコチラ
菰野町図書館
アクアイグニス
ヒモノ食堂