周りと違うと不安になることもあるでしょう。
ただ周りとの違いを楽しむという考え方もあります。
どこまで周りと合わせる?
- 周りがやっていないと、不安になる
- みんなと違う考え方で否定される
といったことがあります。
じぶんだけ意見が違ってたら、なかなか言い出せずにだんまりする。
ときには、多数派に流された経験もあります。
小学生のときは友達みんなが野球好きでした。
が、わたしはちょっとしかわかりませんし、TVでも野球を見ていませんでした。
父親も興味なかったので、よけいに。
それでも、「どこのファン?」と聞かれることがあり「中日だよ」と歩調を合わせていました。
「興味ない」といえばよかったのですが、そうはならず。
会社や集まりではじぶんの意見が違っていても、黙って合わせていました。
よくいえば協調性なのでしょうが、言えなかったというのも。
独立してからも、
事務所を借りないといけない
電話は使う
など、じぶんが望まなかったもの、世の中の「ふつう」を踏まえてとりいれていました。
それでも、現在は周囲との違いを気にしなくなりました。
むしろ違っていたほうがいいと考えています。
人と違うことを楽しむ
世の中の多数の人がやっていることでも、それがじぶんにとって合うかどうかはまた別の話です。
多くの人にとって常識だとしても、自分にとってはそうでなく。その逆もありえます。
- 誰も興味がないことに興味がある
- 誰も行かない場所に遊びに行く
人がいないから、楽しめる、得をするということもあるのです。
そこに気づいてからは人と違うことを楽しんでいます。
・朝に外を歩く
・スーツでなく私服
・カフェで仕事する(税理士業以外)
・平日に床屋
・昼間に読書
・20分昼寝
・ランチは11時
・カメラで撮影
・セミナーをやる
・毎日ブログを書く
・毎日メルマガを書く
・行列に並ばない
間違いなく多数派ではないでしょうね。
でもそれで問題ありません。
じぶんがラクだったり、楽しいと思えることをやっていくと、自ずと少数派になっていきます。
少数派も楽しめるものです。
多数派か少数派かは本音で
多数派がだめでもなく、少数派がいいというわけでもありません。
じぶんの気持ちに素直になればいいわけです。
わたしもときには多数派になっていることもありますし、少数派になることもあります。
ただ、多数派ならば気に留めないことでも、少数派になると気がすすまないということにもなるわけです。
でも、周りにいないからダメ、間違いということでもないわけですから、不安を感じなくてもいいことです。むしろ、人と違うことでのメリットもあります。
多数派といっても、その多数の人もみんな少数派の部分はあるものです。
違いを恐れすぎずに楽しみたいものです。
【編集後記】
昨日は友人の床屋で髪をカットしてから個別コンサルティング。Amazonから朝に注文したSDカードが届いたので夜さっそくカメラに装着。最近は朝に注文すれば、当日に着くこともあって助かります。
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