ときには深く考えずに人の意見に流されてみると、新しい発見があったりします。
友人と寿司ランチを食べに行った話
先日、友人とランチ。
「おすすめの寿司屋があるから」と行ったのは、個人経営のカウンターだけの寿司屋でした。
ランチとはいえ、ひとりだったら間違いなく行っていないだろうなというお店。
さらにおすすめを聞くと「ちらし寿司 1,200円」。
私は「ちらし寿司」にまったく興味がなく「さしみ定食 1,000円」を頼もうとしたのですが、友人に「ちらしがイチオシだから」とすすめられ、「まぁそこまでいうなら…」と注文することに。
ちらし寿司って酢が効き過ぎてて、頼みたいとまでは思わない。嫌いではないのですが…。
でも、いざ食べてみると、これがかなり美味しかったのです。
ランチで1,200円ですからネタもいいかんじだったのですが、酢もそれほど強くなく、美味しくいただきました。
と、ひとりでは間違いなく選ばなかったランチ。
じぶんの思考だけだと、似たような傾向になりがち。ときには人の意見に流されてみるのもありかなと思ったわけです。
とりあえず流されてみるのもあり
流されるというと、マイナスイメージが強いかもしれませんが、私自身は流されることも大事だと思っています。
流されることで気づくことがあるからです。
- 本を読んで、何か1つやってみる
- セミナーに出て、教えてもらったことをやってみる
じぶんひとりで考えていても限界あるかなと。
であれば、あまり深く考えずに外の意見も取り入れてみた方が考えに幅ができます。
私自身、本やセミナー、ネットの発信などからもいろいろ気づきをもらっています。
違ったと思えば変えればいい
やってみてじぶんには合わないということもよくあります。
そのときは、変えることもできます。
「これはじぶんには向いてないな」と気づけるだけでも、流されてみたことに意味があった言えるのではないでしょうか。
私自身も独立してから、前の事務所のやり方をそのまま取り入れました。
そのときには、そういうものだと思っていたからです。
でも、その後、違うやり方もあるなということに気付いて、いろんなことを1つずつ変えてきました。
今のひとりしごとだったり、PCがあればどこでも…、家族との時間を持つというスタイルは、じぶんにあっているとは思っています。
流されるという言葉には、「じぶんがない」というマイナスイメージがありますが、流されたあとで、じぶんなりに変えていけば流れに乗ったと見ることもできます。
ひとまずやってみる、とりあえず流されてみるというのこそ、大事なことなんじゃないかと思います。
【編集後記】
昨日は相続税の申告書の最終チェックと法人の決算。午後からは研修に。偶然にも友人たちに会いました。
【昨日の1日1新】
※「1日1新」→詳細はコチラ
スタバ メリーストロベリー ケーキ フラペチーノ(久しぶりに甘いのでちょい胃もたれでしたw)