私は2004年の7月末、勤務していた会社を早期退職制度により退職しました。
29歳の夏のことです。
簿記の2級だけは持っていましたが、あとは運転免許証くらいです。(笑)
かつて受験時代を過ごした大名古屋ビルヂング 今はすっかり姿を変えました。
とにかくささいな時間も惜しんで勉強した1年目
専門学校が始まるのは9月からです。パンフレットを取り寄せたりして、受験の仕組みを理解したり、いくつかの学校の説明会にも参加したりしました。
でも税理士試験は初めてで、何をしたらいいのか・・・全くわかりません。
とりあえず書店で合格体験記を購入して、意識を受験モードに変えていきました。当時こんなのを読んでいました。受験中も入手して毎年読んでいました。
合格体験記には合格者の方が何をやっていたか、どのくらいの期間で合格したのかを書いてくれています。
最近は売っていないようですが、専門学校の説明会に参加するともらえたりします。
合格体験記によれば、最短で合格する方は2年でした。
となると・・・
「1年目で3科目受験し、3科目合格。そして2年目で 2科目受験して2科目合格!」
この目標で行くしかありません。
当時は難しさもしらず、なんとも壮大な計画を打ち立てたものですが、当時の私はもう結婚していましたから。
だからこれしかないわけです。これ適当にやっていたら私は今頃バツイチでしょうね。
既に退路はなく、まさに崖っぷちからのスタートです。
学校もTACに行くことに決めました。教える内容に差はないと思いましたが、講師の方が話しやすくていいと思ったのと、テキストを見て勉強しやすいかなと思ったからです。
1年目は「簿記論」、「財務諸表論」、「消費税法」の3科目を受験することにしました。
9月から4月までで一通りの勉強をするレギュラーコースもありましたが、すべて内容を9月から12月までで一通りやる年内完結コースと1月からの上級コースというキツイ方のコースしました。
今にしてみるとレギュラーコースの方でも合格することは全然できますが、この競争試験、合格するには周りの方より知らないということはできるだけなくしたいという気持ちから、この上級向けコースを選択していました。
受験生活もいよいよスタート
しかし、受験生活をスタートさせた直後、突然こんな気持ちが私を襲いました。
「仲間がみんな仕事しているこの朝9時にここで俺は何をしているんだろ?」「ここにいていいのか?」といった疎外感です。
税理士以外にも公認会計士の方など様々な資格で受験専念の人がいます。
朝は早く行くので、まだあまり人がいません。人がたくさんいれば気も紛れたと思いますが、そういう気持ちも持ってしまったこともありました。
しかし、ここを乗り越えることが出来たのは義理の兄からこんな言葉で応援をしてもらったからです。
「やるんなら義務感でやるんじゃなくて、楽しんでやれ!」
そこからは、この後仲間が出来ていくこともあり、そういう気持ちも次第に薄れていきました。
当時の1週間のカリキュラムです。日曜日から土曜日の夕方まで常に学校にいました。
朝は8時半から夜は9時過ぎまで(土曜日は5時、日曜日は6時まで)
青色の箇所はすべて自習です。赤色、黄色、茶色の箇所は授業です。
ほぼプライベートな時間もありませんでしたが、仕事を辞めて受験していました。
この時だけは受験を仕事として捉えていました。
休もうものなら「今頃みんな頑張ってやっているんだろうな~。」と焦りの気持ちが言葉に出ていました。まぁ~気の小さい男でしたね。(笑)
受験専念の方でも2科目受験の人が多い中、私はそのような経緯から3科目受験に挑戦していました。気持ちも焦るばかりでした。
1年目はとにかく「人よりたくさん勉強しないと合格出来ない、先ずは毎回のテストで良い点数をとって毎回、名前を載せよう。」「そうすれば合格率も上がるだろう。」という気持ちだけでした。
学校の試験はそれなりによかったけど
そのような感じで来る日も来る日も勉強に時間を充てていました。
毎回のミニテストでも結構名前を載せることができていましたし、月1回の実力テストでもだいたい成績優秀者に名前を載せることができていました。
誰も知り合いがいなくてスタートした税理士試験でしたが、よく名前が載っていたこともあり、同じ受験生の方が私の名前を知っていてくれていたりして、声を掛けていただくこともありました。
知らず知らずのうちに一緒に受験のことを話せる、冗談を言える仲間が出来てきました。本当にこの仲間の存在はありがたかったです。
最初にこの試験に望むときは「友達を作ると勉強ができなくなるから、作らなくていい。」と思っていました。このことはすぐに大きな過ちだと気付かされました。
この時の仲間は今も付き合いがある貴重な存在です。
私が成績を上げるのにやったこと
私がTACで成績を上げるのにやっていたことはつぎのようなことです。
1 わからないことは先生に積極的に質問した
当然、やっていてわからないことが出てきます。
そういった場合には授業が終わったら、積極的に質問をしました。
自習をしていてわからないことがあれば、講師室に押しかけました。(笑)
先生たちはどの方も快く教えて下さいました。時には勉強以外の話、実務の話などをすることもありました。
1時間とか話すこともありましたが、リラックスもできたり、次に向けてのモチベーション向上の効果もありました。
話に付き合ってくれた先生方なしに、私の合格はなかったでしょう。本当に感謝です。
今でもお付き合い頂いている先生もいます。
もう一つ自分に課していたことは「先生からのプレッシャー」です。
あれだけ質問に来ていて成績が悪かったら、申し訳がありません。
先生がどう思っていたかは知る由もないですが、自分でそう思い込んで、質問をたくさんしに行くことで、いい意味で自分にプレッシャーを掛けていました。
2 同じ問題を何回も、何回も、何回も~解いた
これは受験生はみんなやっていると思いますが、とにかく同じ問題を何度も解きました。
通常、授業がインプットだとしたら、問題集をやるのがアウトプットですが、今にして思えばアウトプットからインプットにつなげるといった感じでした。
もちろん授業は受けるのですが、問題をやらないと知識として定着しません。
問題をやって、できないものはテキストを見なおして知識として定着させる。そんな感じでした。
初めての本試験 結果は1勝2敗で2年合格は絶望的に
6月の全国模試も受験し、成績優秀者は名前が冊子に載ります。
財務諸表論は全国6位になれました。
簿記論と簿記論は残念ながら載らず。
ただ前に書きましたが、ここで成績が良くても本試験で合格できる保証は全く無いわけです。
そして本試験、3科目すべてが1日目の受験です。
簿記論では推定簿記の問題が出ました。制限時間ギリギリで計算方法がわかりましたが、致命的な計算ミス。
これにより連動的に他の答えも間違いとなってしまいました。
この時点ですごく焦りましたが、「絶対合格している!」と何度も言い聞かせていました。
財務諸表論は3科目の中では1番手応えを感じました。
消費税はTACで解いていた問題とは別次元の問題という印象でした。全く手応えを感じなかったわけではありませんが、それなりに解答しました。
そして1年間の長い受験が終わりました。しばしの休息の後、9月から新しい科目の受験です。
そして月日は流れ、2年目の最中、12月の合格発表。試験結果の通知が自宅に届きました。
当日、TACで自習していたら、携帯に連絡がありました。
封筒を自分で開けることが出来ず、奥さんに開けてもらいました。
どのように表示されていたら合格なのかもよくわかっていない状態です。
簿記論が「A」、財務諸表論は「合格」、消費税法が「B」という通知の内容がわかりました。
この瞬間、1勝2敗であることを悟りました。
そして、受験は専念で頑張っても3科目です。
来年はこの不合格の2科目とあと新しい1科目になり、来年合格しても4科目にしかなりません。
そんなわけで私の「2年合格計画」は音を立てて崩れ去りました。
この結果から学んだこと
税理士試験の1年目からいくつかのことを学びました。
① この試験には実力も運も必要だということ
私は休みなく勉強していたわけですが、2科目受験の方が2科目合格して見事に結果を出していました。簿記論は解き方はわかっていたのに計算ミスをしたことが悔やまれました。
でもやはり運も必要な試験だと今になってつくづく思います。
何をしたら運が良くなるかはわかりませんが、自分は運がいいから「合格している」と発表まで強く思う気持ちが大事です。
「落ちていると思ったら、合格するものも合格しない」と自分にも周りの仲間にも言い聞かせていました。
② 休みをほとんど取らなかった。
これが意外に大事だということが2年目以降にわかりました。
先生が「休みをいれると意外と頭が整理されて、定着しやすい。」とアドバイスされていましたが、私はこれを受け入れることができませんでした。
休みはあえて適度に入れたほうがいいです。
私は2年目以降は日曜日は月1回だけTACに行き、あとは休みにしていました。
長くなりました。2年目以降のことはまたどこかで書きたいと思います。
【編集後記】
昨日は1日オフ。午前中は子ども2人と図書館へ。午後はヒルズウォーク徳重へ行き演奏を聞きました。耳の保養になりました。この記事を書いている時にメッシがアルゼンチン代表を引退のニュースが・・・?まだ代表引退は早過ぎる。本当に残念です。ただ1ファンとしてはメッシの決断を尊重したいです。